(槍と穂高への分岐点--横尾にて)


・・・・・「風の盆と黒部・立山・宇奈月周遊」・・(2018風の盆紀行) ・

9/5
何時の頃からか、風の盆の後、上高地へ登って帰るのが私の楽しみ一つになっている。
唯、今回は大阪の我が家が台風21号の直撃を受け、また鉄道も不通になり、帰れない事態となった。
そんな中、台風の始末を友人に託して、一日遅れで当初のスケジュールを決行した。
又、今回は、(高山線の不通もあり)、富山地鉄のバスを利用して、神岡経由で平湯、上高地と登ってきた(13:00頃)

上高地のバスセンターから二時間程かけて今夜の宿「徳澤園」に着いた(15:00頃)。
夕食まで時間があったので、りックを預けて横尾迄を往復して、ちょうど夕食に間に合った(18:00)

9/6
徳澤園から明神、明神からは梓川の右岸を通り河童橋に出た。
上高地から新島々、松本に出て、小糸線で信濃大町に着いた(13:30)。
上高地を発つ時(09:30)には、信濃大町の街を少し散策しようと思ったが、扇澤行のバスの連絡が良かったので、信濃大町では時間が取れなかった。
予定より早く着いたので宿(信濃大町温泉郷の黒部観光ホテル)の周りを散策したが、大きなホテルや旅館は閉鎖している様うで、かつての黒四観光ブームが過ぎ、また交通手段が進んで、黒部・立山観光客が此処に止まらない場所になったのであろう。黒部観光ホテルも、客の殆どが外国(中国系)人であり、夕食時は外国に来たのかと見間違えた) 、
唯、温泉は素晴らしく、大きな湯船に一人ゆっくりと二回も浴くして、売店でコップ酒とおつまみを買って大きな部屋で早くから床に就いた(19:30)

9/7
生憎小雨模様であった、ホテル横からバスで扇澤に出で、其処からトロリーバスで黒四ダムへ出た。
展望台からの眺めは小雨に煙っていたが素晴らしく、資料館では、先輩達の偉業と苦労が偲ばれ、感激した。
ダムからは、ケーブル、ロープウエイ、トロリーバスを乗り継いて、室堂に着いた(12:00)が 途中の大観峰からも、室堂からの景色も、台風の余波の強風と小雨で立っているのがやっとの状況であった。 当初は、みくりが池散策も思っていたが、この状態ではいかんともしがたく、昼食に立山蕎麦を食し、室堂郵便局から、大阪の孫達に記念はがきを郵送して、早々に、バスで弥陀ヶ原を下り、美女平へ、そこからケーブルで地鉄立山駅にと約2000(1975)メートルを下った。

立山駅から、特急電車で(寺田経由)宇奈月温泉に着いた(16:20頃)。 ホテルは、老舗の「宇奈月グランドホテル」、であった様だが、今は「快湯リゾート」グループ傘下の一つとなっているようだ。
フロントで、KEYを貰った時[600号」とあり、部屋に通って驚いた、角部屋の応接室、ロビー付、和風の三室(10、6,4.5)のVIP用の特別室である。
何かの間違いであろうと、フロントに出向き確かめたが、女性係員は無愛想に「間違いありません」と当然の様に断じた。 部屋には、高級な布団と夜具がちゃんと置かれていた。 多分、台風等の影響でVIP用がキャンセルになり、、一人客でも転用したのであろうが、貧乏人には、何だか落ち着いて寝られなかったのは確かである。
此処でも、周りは外人(韓国系)客の団体で溢れていた。 夕食は、バイキングで大広間は人で時間制で開店し、人で溢れていた、ただ、料理や接客はよく行き届いていた。 思うに、昨夜の黒部観光ホテルと比べて活気があり、老舗ホテルも経営方針を変えないと成りゆかないご時世になったのだろう。

9/8
久し振りにトロッコ電車に乗って黒部渓谷の欅平迄を往復しだ。
途中、かっての資材運の人道が望まれ、このプロジェクトを進めた先達の決断や、現在もメインテナンスに携わっている方々のご苦労を思い、涙した。
帰りは、新幹線の宇奈月から金澤へ、金澤からサンダーバードで新大阪に帰ってた。

今回の旅は、今までの風の盆紀行と違ったが 途中、徳澤園で見た「山中他界」の揮毫書と友人との縁が心に染みた旅となった。

追伸:今回の旅に関連した、JavaスクリブトやGIF動画がありますので、下のリンクをクリックしてみてください。
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